一乗寺城

一乗寺城いちじょうじじょう
京都府京都市左京区一乗寺城
Mapion
登山口地図

--北曲輪・畝状竪堀群--
別名  
交通 叡山電鉄本線「修学院駅」から曼殊院まで徒歩15分。
地図の地点、曼殊院南に登山道があります。途中瓜生山への分岐点は叡山
方面へ直進し(途中道は崖崩れ?により不明瞭で要注意、要下調べ)、稜線
を通る京都一周トレイル65番標柱を水飲対陣碑・叡山方面へ進むと、左手に
画像にある「城」案内があります。
築城年代  
築城者  
形式 山城
主な城主  
京と近江を結ぶ間道(白鳥越え・青山越え)が稜線上を通る要衝に位置する。築城者・年代は不明だが、渡辺城を居城とした渡辺氏の詰城であったともいわれる。
現在見られる遺構は1570年(元亀1)浅井・朝倉連合軍が織田信長と対立した「志賀の陣」の頃、築かれたと考えられている。9月、石山本願寺と結んだ浅井・朝倉連合軍は琵琶湖西岸を南下し、宇佐山城を攻撃すると、山科付近まで侵攻し、入洛を目論む。この時浅井・朝倉連合軍は比叡山延暦寺の後方支援を受け、「はちヶ峰」・「あほ山」・「つぼ笠山」に布陣し、摂津から急遽京に戻った信長と対峙したとされるが、一乗寺城はこの「あほ山(青山)」に比定されている。12月、膠着状態となった両軍の和議が成立すると、浅井・朝倉連合軍は「青山」の根小屋を焼き払い、退却したという。
山道(白鳥越え)を挟み、大きく北曲輪と南曲輪から成る。それぞれ土塁や虎口が良く残されており、西側(京都側)には畝状竪堀が設けられている。城址は特に整備されていないが、下草や藪もほとんど無く、遺構は確認しやすい。また同一期のものか不明だが、北曲輪から北にあるてんこ山山頂から更に北東にも城郭遺構が残されている。
「城」案内 虎口 南曲輪
南曲輪土塁 南曲輪・北曲輪間を通る
山道(白鳥越え)
北曲輪
北曲輪畝状竪堀群 北曲輪・てんこ山間竪堀 てんこ山山頂
てんこ山北東曲輪跡 腰曲輪(塹壕跡か) 堀切

参考文献 「近畿の名城を歩く 吉川弘文館」
               「近江の山城ベスト50を歩く サンライズ出版」
訪城回数 1
2016年4月