宇佐山城

宇佐山城うさやまじょう
滋賀県大津市錦織町
Mapion
登山口地図

--本丸下石垣--
別名 志賀城・志賀要害
交通 京阪石山坂本線「近江神宮前駅」から登山口まで徒歩15分。
宇佐八幡宮手前にある案内板から山に入り舗装道を左手に
見ながら目印テープを頼りに15分程で城址です。
築城年代 1570年(元亀1)
築城者 森可成
形式 山城
主な城主 森可成・織田信治・明智光秀
1570年(元亀1)織田信長が越前朝倉義景らに対抗する為、また京への道の確保の為、森可成に命じて築かせた。。
同年9月、信長が摂津国野田・福島で三好三人衆・石山本願寺と合戦中、浅井・朝倉連合軍が背後を突いて坂本に侵攻した。同月19日、宇佐山城から出陣した森可成は初戦で勝利するも翌日織田信治・青地茂綱らと共に討死した。浅井・朝倉勢は勝ちに乗じて宇佐山城に攻め上がったが、守兵は良く守り、落城を免れた。やがて摂津国から撤退して来た信長が京に着陣すると浅井・朝倉連合軍は合戦を避けて比叡山に籠った。11月25日、1度のみ堅田合戦が行われたが、約3ヶ月両陣営の睨み合いが続き、行き詰った信長は和睦を模索し、12月13日、朝廷・将軍の仲介の下に和睦が成立した。「志賀の陣
その後宇佐山城には明智光秀が入城し、1571年(元亀2)9月、信長の比叡山焼き討ち後、坂本城を築いて移ると廃城になったものと考えられる。
現在二の丸・本丸はテレビ塔が立てられ一部改変されているが、東下に石垣が残されている。
二の丸 二の丸下石垣 本丸虎口
本丸
電波塔が建つ
本丸下石垣 本丸下石垣

参考文献 「京都・滋賀・福井の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2008年1月