愛知県豊川市一宮町 --枡形虎口-- |
別名 | |
交通 | 東名「豊川IC」から車で10分。 |
築城年代 | 1562年(永禄5) |
築城者 | 徳川家康 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 本多百助信俊 |
1560年(永禄3)桶狭間合戦後、岡崎城に自立した徳川家康と今川氏真の間で三河国の攻防が激しくなる。氏真は佐脇・八幡に砦を築くと、1562年(永禄5)家康もこの一宮砦を築き、本多百助信俊を守将として対抗した。 1564年(永禄7)牛久保城に布陣した氏真は大軍で一宮砦を包囲した(永禄6年ともされる)。これに家康は一宮砦を救援する為に出陣し、この砦を包囲する今川氏の軍勢に対し、10分の1の兵力で突破して砦に入り、翌朝には帰還したという。この間氏真は傍観していたと伝えられ、後世「家康一宮の後詰め」と称される。 城址は竹薮となっているが、土塁や堀切が確認出来、西側の枡形虎口も綺麗に残されている。 |
入口に立つ城址碑 | 主郭 | 主郭南堀切 |