滋賀県米原市上平寺 --京極氏一族墓所-- |
別名 | 京極氏館 |
交通 | JR東海道本線「柏原駅」から徒歩80分以上。 |
築城年代 | 1504〜21年(永正年間) |
築城者 | 京極高清 |
形式 | 館 |
主な城主 | 京極氏 |
1467年(応仁1)応仁の乱以降、柏原館を本拠とする京極氏は北近江の戦国大名として歩み始め、1504〜21年(永正年間)京極高清が新たな本拠としてこの上平寺館や詰城の上平寺城、そして城下町を整備した。 1523年(大永3)3月、高清は次男高吉に跡を継がせようとするが、小谷城主浅井亮政は浅見貞則と共に長男高延を支持し、京極氏家臣団で最も勢力を誇っていた上坂城主上坂信光を失脚させると、京極高清・高吉父子は尾張国に追放され、この騒動により上平寺館は焼失したとされる。その後亮政と和睦した高清は高延と共に小谷城(京極丸)に饗応を受けるが、実権は浅井氏に握られ、浅井長政以降、京極氏は記録上から消えてしまう。 しかしその後京極氏は高吉の子である高次・高知兄弟によって再興され、明治維新まで大名家として存続した。 |
外堀跡 | 内堀跡 | 弾正屋敷跡 |
御屋形跡 | 五輪塔 | 庭園跡 |