上平寺城

上平寺城じょうへいじじょう
滋賀県米原市弥高
Mapion
伊吹神社地図

--二の丸虎口・土橋--
別名 桐ヶ城・霧ヶ城・刈安の尾城・上平城
交通 JR東海道本線「柏原駅」から登山口伊吹神社(上平寺館)まで
徒歩80分以上。
又は弥高寺から徒歩20分。
築城年代 1504〜21年(永正年間)
築城者 京極高清
形式 山城
主な城主 京極氏
1504〜21年(永正年間)京極高清が山麓に上平寺館や城下町を整備した際、詰城として築いたとされる。しかし高清の築城以前、1393年(明徳4)京極政経が弥高から出陣している事が伝わっており、この頃には既に何らかの施設があったものと見られる。
1523年(大永3)京極氏の相続争いの際、上平寺城は焼失したとされる。
1570年(元亀1)4月、織田信長は上洛要請を無視する朝倉氏攻略を開始し、越前国金ヶ崎城を攻め落とした。それに対し小谷城主浅井長政は朝倉氏を救う為、同盟を破棄して兵を出し、両者は対立するようになった。この時長政が美濃国との国境防備の為、越前衆の援助を受けて長比城・苅安城(上平寺城)を築城(改修)したといわれる。しかし城将の堀秀村・樋口直房は信長軍に内応して両城は戦わずして開城した。
三の丸南竪堀 三の丸 二の丸虎口脇空堀
二の丸南枡形 内側から見る二の丸南枡形虎口 二の丸
本丸西竪堀 本丸から西・弥高寺跡遠望 本丸
本丸背後堀切・土橋 本丸背後堀切から延びる竪堀 弥高寺跡から見る上平寺城

参考文献 「現地案内板」
                   「近江城郭探訪 サンライズ出版」
                        「京都・滋賀・福井の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2009年4月