広島県竹原市忠海床浦1丁目 --本丸-- |
別名 | 鍵城 |
交通 | JR呉線「忠海駅」から徒歩10分。 |
築城年代 | 戦国時代 |
築城者 | 乃美(浦)宗勝 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 乃美(浦)宗勝 |
高山城主沼田小早川氏7代宣平の子氏実を祖とする乃美(浦)氏居城。乃美宗勝は小早川隆景に従い、小早川水軍の一翼を担って活躍、また親戚関係にある村上水軍諸氏と毛利・小早川両氏間の連絡に大きな役割を果たし、1555年(天文24)厳島合戦の際、村上水軍を説得して毛利氏に助力させる事に成功している。 その後も宗勝は各地を転戦し、常山城合戦や木津川口合戦で活躍、1587年(天正15)豊臣秀吉による九州征伐後、筑前国を任された隆景が筑前名島城へ移ると、宗勝は筑前立花山城に城代として置かれ、同地で没した。 忠海中学校南側、海上に突き出した標高25メートル程の小丘陵に位置する。二の丸付近に僅かに土塁と思われる土盛が見られるだけで、遺構は明瞭ではないが、本丸からは瀬戸内海を一望出来る。 |
麓に立つ案内板 | 二の丸 | 二の丸から東側の眺め |