樫井古戦場

樫井古戦場
大阪府泉佐野市南中樫井

1615年(慶長20)
豊臣秀頼×徳川家康
Mapion

--樫井古戦場碑--
交通 南海本線「吉見ノ里駅」から徒歩30分。
1614年(慶長19)大坂冬の陣の和睦により、真田丸は破却され、南の惣構え・外堀も埋められて、大坂城は本丸と内堀を残すのみとなった。
1615年(慶長20)4月26日、大坂夏の陣の決戦に先立ち、大坂方大野治房は筒井定慶(正次)が守る大和郡山城を占拠する。間も無く徳川方水野勝茂らが反撃に出た為、河内に退くと、28日徳川方兵站基地となっていた堺を焼き討ちし、続いて和歌山城主浅野長晟を押さえようと図った。
28日、浅野方先陣は佐野市場に着陣、大坂方は淡輪重政・塙直之・岡部則綱らを先鋒とし岸和田を越えて進軍を続けた。ここで数的に劣勢であった浅野方は、市場の地は地形的に不利と判断し、この樫井の地に軍を移した。
29日未明、塙直之と岡部則綱は先陣争いをし、小勢で浅野勢へ飛び出して行く。浅野方の亀田高綱は鉄砲で応戦しながら樫井まで引き下がり、決戦に挑んだ。激戦の末、岡部則綱が敗走すると、淡輪重政・塙直之も討死し、治房は大坂城に撤退し、樫井合戦は大坂方の敗北に終わった。

参考文献  「現地石碑文」
               「歴史群像シリーズ 学研」
2010年7月