大阪府交野市私部6丁目 城址碑地図 --二郭・主郭間堀跡-- |
別名 | 私部城 |
交通 | 京阪交野線「交野市駅」から徒歩10分。 又はJR片町線「津田駅」からバス「交野郵便局」下車。 |
築城年代 | 1352年(文和1)頃 |
築城者 | 安見清儀 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 安見宗房(直政) |
1352年(文和1)頃、豪族安見氏により築かれたとされる。安見氏ははじめ南朝方に従っていたが、その後北朝方に移り、1346〜70年(正平年間)末、畠山義深が河内守護職となると、以降代々畠山家重臣となった。 1551年(天文20)畠山政国の跡を継いだ高政は暗殺された遊佐長教に代わって安見宗房(直政)を守護代とするが、やがて宗房は高政に替わって実権を握ろうとし、高政を高屋城から追った。これに三好長慶は兵を向け、高屋城に籠もっていた宗房は飯盛山城を経て大和国へ逃れた。 1562年(永禄5)宗房は和解した高政と共に久米田合戦で三好勢を破ると、飯盛山城奪還を目論むが、教興寺合戦後、再び摂津に落ちていった。 1569年(永禄12)織田信長が河内を統一すると、宗房は所領を回復し、交野城に戻った。宗房の死後、交野城は筒井順慶に攻め落とされ、その後信長の命で廃城となる。 南側一帯は宅地化により破壊されているが、北側は堀跡や土塁が確認出来、比較的形状を良く残している。 |
城址碑 | 南側民家敷地に残る堀跡 | 南土塁 |
二郭(字天守) | 北から見る主郭(字城) | 二郭・主郭間堀跡 |