久米田古戦場

久米田古戦場
大阪府岸和田市小松里町

1562年(永禄5)3月5日
畠山高政・安見宗房×三好実休・安宅冬康
Mapion

--三好実休戦没地碑--
交通 JR阪和線「久米田駅」から徒歩15分。
1561年(永禄4)5月、三好長慶は管領細川晴元を普門寺に幽閉するが、晴元の子晴之を擁した六角義賢、そして1560年(永禄3)高屋城を追われ、紀伊へ逃れていた河内守護畠山高政に挟撃される事となる。
長慶の弟である三好実休(義賢)は、高政に対抗する為、阿波・淡路の兵を率いて岸和田に集結し、久米田に本陣を置いた。高政との対陣は翌年まで持ち越されるが、3月5日に激しい戦いが行われ、実休は高政に属していた根来衆に鉄砲で撃たれ討死した。これにより三好勢は敗走、岸和田城に居た安宅冬康も城を開けて退いた。
続いて高屋城を奪還した畠山勢であったが、教興寺合戦に敗れ、三好勢は岸和田城・高屋城を回復している。

参考文献 「城巡礼 東京地図出版」
        「戦国合戦事典 PHP文庫」
2011年7月