勝本城

勝本城かつもとじょう
長崎県壱岐市勝本町坂本触
Mapion

--本丸石垣--
別名 風本城・武末城・雨瀬包城
交通 「芦辺港」からバス「城山」下車。
築城年代 1591年(天正19)
築城者 松浦鎮信
形式 山城
主な城主 本多正武
1591年(天正19)豊臣秀吉が朝鮮出兵に際し、平戸城主松浦鎮信に命じて築かせたもので、有馬晴信・大村喜前・五島純玄ら肥前の諸大名も動員されている。肥前名護屋城から勝本城・対馬清水山城・対馬撃方山城、そして釜山を結ぶ兵站基地の役割を担った。そして秀吉の弟秀長家臣である本多正武が500の兵を率いて入城すると、1598年(慶長3)までの7年間、壱岐島の治安、武器・兵員輸送の責任者として在城し、戦役後、勝本城はその役割を終え、廃城となった。
眼下に勝本港を見下ろす標高79メートルの城山に位置する。城址は城山公園として整備されており、楕円形の本丸には礎石が見られ、北側には枡形虎口の石垣が残されている。
本丸北下 内側から見る本丸枡形虎口 虎口内石垣
本丸 本丸に建つ城山稲荷神社 本丸展望台からの眺め

参考文献 「歴史読本 新人物往来社」
            「長崎・佐賀の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2015年7月