佐賀県唐津市鎮西町名護屋 --三の丸石垣-- |
別名 | |
交通 | JR唐津線「唐津駅」下車。 「大手口バスセンター」からバス「名護屋城博物館入口」下車。 |
築城年代 | 1592年(文禄1)頃 |
築城者 | 豊臣秀吉 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 豊臣秀吉 |
1592年(文禄1)から1598年(慶長3)にかけての「文禄・慶長の役」の際、朝鮮出兵の拠点として築かれた。元々この地には松浦党波多三河守信時家臣の名古屋越前守経述の居城があったとされるが、豊臣秀吉による大普請の結果、旧状は一変したものと思われる。1591年(天正19)10月に始まった築城は、西国大名の分担により、僅か5ヶ月足らずの翌年春には完成したといわれる。また名護屋城周囲には各地から参集した大名の陣屋が120余り設けられ、名護屋城から釜山までの兵站線には壱岐勝本城・対馬清水山城・対馬撃方山城が築かれた。 1602年(慶長7)から1608年(慶長13)にかけて寺沢広高が唐津城を築いた際、名護屋城の用材は転用され、この時点で廃城になったと考えられる。更に1637年(寛永14)島原の乱が起こると、キリシタン教徒が立て籠もるのを恐れた江戸幕府が石垣を破壊したともいわれる。 |
大手に置かれている旗竿石 | 三の丸石垣 | 三の丸井戸跡 |
本丸虎口 | 本丸 | 天守台跡 |
天守台跡から見る二の丸 | 天守台跡から見る遊撃丸 | 遊撃丸南側石垣 |
本丸多聞櫓跡 | 三の丸から馬場方面へ続く虎口 | 馬場跡 |
馬場跡石垣 | 馬場跡櫓台 | 弾正丸東側石垣 |
弾正丸 | 搦手虎口 | 水の手曲輪 |