平戸城

平戸城ひらどじょう
長崎県平戸市岩の上町
Mapion

--天守閣--
別名 日之嶽城・亀岡城・朝日嶽城・玄武城
交通 松浦西九州線「たびら平戸口駅」下車。「平戸口駅」又は「平戸
口桟橋」からバス「猶興館高校入口」下車。
築城年代 日之嶽城、1599年(慶長4)・亀岡城、1707年(宝永4)
築城者 日之嶽城、松浦鎮信(法印)・亀岡城、松浦棟
形式 平山城
主な城主 平戸松浦氏
1599年(慶長4)勝尾嶽城を居城としていた松浦鎮信(法印)は、この地に日之嶽城を築き移った。
しかし1613年(慶長18)日之嶽城は出火・焼失した為、松浦氏は中之館、そして御館へ移った。出火の原因については諸説あるが、1600年(慶長5)関ヶ原合戦に参陣しなかった事や外様大名として幕府からの改易を恐れた為、鎮信が自ら火を放ったといわれている。
その後情勢の変化に伴い、時の藩主松浦棟は幕府に築城願いを出し、1704年(宝永1)日之嶽城跡地に山鹿流築城法により再築を開始、1707年(宝永4)完成した。以後明治に至るまで松浦氏居城として続いた。
一の大手門跡 二の曲輪・亀岡神社 本丸門跡
本丸 天守内に展示される北虎口門扉 天守から見る本丸
天守から北西の眺め 天守から見る懐柔櫓 本丸石垣

参考文献 「現地案内板」
                    「長崎・佐賀の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2013年1月