川連城

川連城かわつれじょう
栃木県栃木市大平町川連
Mapion

--川連天満宮に立つ城址碑--
別名    
交通 各線「栃木駅」から徒歩20分。
築城年代 1467〜69年(応仁年間)
築城者 川連仲利
形式 平城
主な城主 川連仲重・皆川氏
1467〜69年(応仁年間)川連仲利により築かれたとされる。
1563年(永禄6)皆川城主皆川俊宗が当地を占領すると皆川城の支城となり、その後修築されたといわれる。
1578年(天正6)川連仲重の時、粟野城代平野大膳久国と争い、仲重は討死、当時唐沢山城主佐野氏の旗下であった平野氏が居城するが、その後再び皆川氏が領有した。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、上杉・浅野勢に攻められ落城した。
案内板・城址碑が立つ川連天満宮の東方から北東方にかけた東西約450メートル、南北約400メートルに及ぶ範囲が城址。バイパス道路工事や城址のほぼ中央を通るJR両毛線、また土地改良により遺構の大半が消滅しているが、堀跡や土塁が僅かに残されている。また三の丸北東部に建つ東宮神社は皆川俊宗により鬼門除け及び守護神として祀ったものという。
堀跡 土塁 土塁
土塁 堀跡 城址南北を通る道路
本丸付近 堀跡 東宮神社

参考文献 「とちぎの古城を歩く 下野新聞社」
            「栃木県の中世城館跡 栃木県教育委員会」
           「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2020年12月