城所城

城所城きどころじょう
神奈川県平塚市城所
Mapion

--浄心寺裏山--
別名  
交通 小田急線「伊勢原駅」から徒歩30分。
築城年代 鎌倉時代
築城者 城所盛直
形式 山城
主な城主 城所氏
平安末期、藤原左大臣冬嗣の5世の孫、如丘は糟屋に相模守として下向し糟屋を姓とし太郎元方を名乗った。
糟屋豊後守盛久の頃、4男四郎盛直はこの城所の地を分地され城所氏を名乗った。盛直はこの城所山に城を築き、以後2百年城所氏代々の居城となり、直賢の代に三河国市場郷を受領し移ったといわれる。
戦国期には岡崎城の支城として東方の守りを担う役割を持っていたと考えられる。
現在浄心寺裏山にあったという城址は昭和41年、採土工事により切り崩され城山は消滅しており遺構はないが、ここから南方の展望は優れ平塚市街や高麗寺山付近まで一望できる。
浄心寺裏が城址 畑になっている

参考文献 「日本城郭全集 人物往来社」
            「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2006年7月
2008年2月