岸和田城

岸和田城きしわだじょう
大阪府岸和田市岸城町
Mapion

--本丸東水堀--
別名 岸ノ和田城・滕城・蟄亀利城・猪伏山城
交通 南海本線「蛸地蔵駅」から徒歩10分。
築城年代 1394〜1428年(応永年間)頃
築城者 信濃泰義
形式 平城
主な城主 岡部宣勝
岸和田は、1334年(建武1)摂津・河内・和泉三国の守護となった楠木正成が、一族の和田新兵衛高家を遣わした所といわれる。
1378年(永和4)和田氏の一族信濃泰義が城主となり、その後詳しい年代は不明だが、「岸の城」から現在の地に移ったとされている。
1558年(永禄1)頃からは、三好義賢や十河一存、安宅冬康の三好勢が在城していた事がうかがえ、この頃岸和田城は相当な規模であったとみられる。また四国・淡路との連絡の為、海に面する現在の二の丸付近が、主郭となっていたと考えられている。
1583年(天正11)豊臣秀吉が大坂を本拠とし、大坂城の築城を開始すると、岸和田城には根来・雑賀衆への押さえとして中村一氏が置かれた。
1585年(天正13)中村一氏が近江国水口に移ると、代わって小出秀政が入城した。
小出氏3代、そして松平氏を経て、1640年(寛永17)高槻城から岡部宣勝が6万石で入城する。俗に「紀州がため」として配されたといわれ、徳川御三家の一つ紀州徳川家の居城である和歌山城の監視の意味を持っていたとされる。以後岡部氏が13代続き、明治を迎えた。
本丸東水堀
本丸城壁下には犬走りが
設けられている
本丸南水掘 本丸北側から見る天守
本丸北水堀 本丸北石垣 二の丸南水堀
本丸隅櫓 本丸城門 本丸・天守

参考文献 「現地案内板」
                    「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2010年7月