国分城

国分城こくぶんじょう
千葉県市川市国分2・3丁目
Mapion

--下総国分寺--
別名 国分館・国分寺館
交通 京成本線「国府台駅」から徒歩25分。
築城年代 平安時代末期
築城者 国分胤通
形式
主な城主 国分氏・高城氏
平安時代末期、亥鼻城主千葉介常胤の5男胤通がこの地を与えられ、国分五郎と称して居住した館に始まると考えられる。その後国分氏は大戸庄矢作領主の国分氏(胤通の子常義の子孫)が宗家として発展し、この地に国分氏一族がなおも居住したかについては明らかでない。
戦国時代には小金城主高城氏が支配したとされ、国府台合戦等、戦乱の際に城として取り立てられた事も考えられ、現在見られる遺構はこの頃のものと思われる。
城域は明確ではないが、土塁が残る国分寺敷地を含む南東に突き出した台地先端部にいくつかの郭が設けられていたと推定される。国分寺東側の住宅街端に土塁や櫓台が僅かに残され、また南から台地へ登り、国分寺前まで続く石堂坂は郭を分ける堀跡と考えられる。
虎口跡 石堂坂

参考文献 「東葛の中世城郭 崙書房出版」
訪城回数 1
2015年10月