小西行長屋敷

小西行長屋敷こにしゆきながやしき
大阪府堺市堺区宿屋町東1丁
Mapion

--石碑・案内板--
別名         
交通 阪堺電気軌道阪堺線「妙国寺前駅」から徒歩3分。
築城年代 戦国時代
築城者 小西行長
形式 屋敷
主な城主 小西行長
薬を扱う商人小西立佐(隆佐)2男である行長屋敷跡。京都で生まれたとされる行長は幼名弥九郎といい、1558〜70年(永禄年間)父と共にキリスト教徒となると、備前岡山城下の呉服商、魚屋九郎衛門の養子となり、間も無く城主宇喜多直家に仕えるようになる。1580年(天正8)羽柴秀吉の中国攻めの頃、秀吉家臣となり、船奉行の一人に任ぜられ、水軍を率いた。また1586年(天正14)石田三成と共に堺代官に任命された。
1588年(天正16)失政により改易となった佐々成政に代わり、肥後南半国を与えられ、宇土城主となり、翌年天草本渡城を攻略した。その後文禄・慶長の役にも活躍、和平交渉を担当している。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦に西軍として出陣し、戦後三成・安国寺恵瓊と共に斬首された。

参考文献 「現地案内板」
               「歴史群像シリーズ 学研」
訪城回数 1
2017年1月