工藤祐経屋敷

工藤祐経屋敷くどうすけつねやしき
神奈川県鎌倉市材木座4丁目
Mapion

--実相寺--
別名          
交通 JR横須賀線「鎌倉駅」から徒歩25分。
築城年代 鎌倉時代
築城者 工藤祐経
形式 屋敷
主な城主 工藤祐経
平安時代末期、 伊豆東部を支配した伊東氏の一族工藤祐経屋敷跡。
祐経は伊東祐親との所領争いで祐親の子祐泰を暗殺するが、残された祐泰の子祐成・時致が仇討ちで知られる曾我兄弟である。
1180年(治承4)8月、伊豆に挙兵した源頼朝が鎌倉入りすると、祐経は頼朝に従い、幕府の御家人として活躍した。
1193年(建久4)5月、頼朝が行った富士の巻狩りに祐経も参加するが、28日深夜、曾我祐成・時致兄弟に父祐泰の仇として討たれた。この時祐成は討死し、時致は捕らわれるが、頼朝は時致の助命を考えたとされる。しかし祐経の子犬房丸(伊東祐時・日向伊東氏の祖)が泣いて訴えた為、時致は処刑された。また犬房丸は鉄扇で時致の面を打ち据えた為、頼朝の勘気に触れ、伊那へ流罪になったとされる。
実相寺が屋敷跡とされ、山門に祐経屋敷跡の記述がある。

参考文献   「歴史群像シリーズ 学研」
        「新編 鎌倉事典 文芸社」
訪城回数 1
2016年1月