国峰城

国峰城くにみねじょう
群馬県甘楽郡甘楽町大字小幡
Mapion
登山口地図

--本丸西堀切--
別名 国峯城
交通 上信電鉄線「上州富岡駅」からバス「枇杷の沢」下車。
バス停から北へ入り、地図の地点から登山道があります。
築城年代 1240年(仁治1)頃
築城者 小幡氏
形式 山城
主な城主 小幡信真
武蔵児玉党の一派小幡氏居城。
小幡氏は西上州の主領として勢力を誇り、国峰城御殿から眺められる地域がすべてその支配下にあったといわれ、関東管領山内上杉氏の重臣として活躍した。
1552年(天文21)上杉憲政が後北条氏により平井城を追われると、小幡重定(憲重)・信真(信実・信貞・信定・重定)父子は甲斐武田氏に属した為、箕輪城主長野業盛は小幡父子の留守中に国峰城を奪い、一族である宇田城主小幡景定を城主とした。
1561年(永禄4)11月、武田信玄は国峰城を攻略すると、小幡信真を復帰させ、以後国峰城は信玄の上州攻略の拠点となった。そして信真は赤備え騎馬軍団を率いて武田軍の中核となり各地を転戦する。
1582年(天正10)武田氏が滅びると、信真は一時織田氏に属すが、神流川合戦で滝川一益が敗れると、後北条氏に従った。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、信真は小田原城に籠もり、国峰城は小幡信秀が守ったが、藤田信吉らに攻略され、国峰城は廃された。
御殿平 切り通し 竪堀
堀切 三の丸 二の丸へ続く土橋
土橋脇空堀 二の丸 本丸
本丸下堀切 北東から城址遠望 Mapion
紅葉山西麓にある外堀跡、城址遠望

参考文献 「群馬の古城 あかぎ出版」
                 「群馬県の中世城館跡 群馬県教育委員会」
                「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2011年12月