黒野城

黒野城くろのじょう
岐阜県岐阜市黒野
Mapion

--本丸土塁--
別名  
交通 JR東海道本線「岐阜駅」からバス「黒野城跡前」下車。
築城年代 1594年(文禄3)
築城者 加藤貞泰
形式 平城
主な城主 加藤貞泰
1593年(文禄2)8月、甲斐国甲府城主加藤光泰が朝鮮の陣中で病没すると、翌年7月、その子貞泰は幼少という理由でこの地に移され、24万石から4万石に減封された。黒野城はこの時築かれた。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦の際、貞泰ははじめ西軍に従うが、間も無く東軍に転じ、宇喜多秀家勢を破った。その後1610年(慶長15)まで15年間黒野城に居城していたが、7月伯耆国米子城へ移り、黒野藩は短期間で終わった。
黒野城本丸は城跡公園となり、周囲に堀や土塁が残されている。二の丸以下は宅地化されているが、所々に堀跡や土塁が確認出来る。
本丸南空堀 本丸西空堀 本丸
本丸西土塁 二の丸跡 外堀跡

参考文献 「岐阜の山城ベスト50を歩く サンライズ出版」
      「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2017年4月