愛知県岡崎市大和町字沓市場 --妙源寺-- |
別名 | |
交通 | JR東海道本線「西岡崎駅」から徒歩5分。 |
築城年代 | |
築城者 | |
形式 | 平城 |
主な城主 | 安藤氏 |
阿部因獄正により築かれ、後に安藤薩摩守信平が居住し、その子帯刀以来、安藤氏代々の居城となり、基家の時、松平広忠に仕えると以後、安藤氏は徳川家に忠勤を励んだ。 安藤直次は幼少の頃より徳川家康に近侍し、1610年(慶長15)家康の10男頼宣の附家老となり、大坂の陣では頼宣に従って出陣した。1617年(元和3)遠江国掛川城に移り、1619年(元和5)頼宣が紀伊国和歌山城に入城すると、直次もそれに従い、紀伊国田辺城に封ぜられた。 城址は妙源寺の南西辺りというが遺構は残されていない。妙源寺は三河一向一揆の際、家康がこの寺で難を避けたといわれる。境内には安藤直次、本多忠高・忠豊、高木清秀、平岩親吉、長坂血鑓九郎の墓がある。 |
安藤直次墓 | 本多忠高・忠豊墓 | 平岩親吉墓 |