松前城

松前城まさきじょう
愛媛県伊予郡松前町筒井
Mapion

--城址碑--
別名 正木城・真崎城・松崎城
交通 伊予鉄郡中線「松前駅」から徒歩20分。
築城年代 1595年(文禄4)
築城者 加藤嘉明
形式 平城
主な城主 加藤嘉明
築城年代は不明だが、南北朝時代、南朝方の合田定遠が籠城していた記録が残り、その後河野氏家臣の栗上通宗・宗閑の居城となったが、1585年(天正13)豊臣秀吉の四国征伐により開城した。
1592〜96年(文禄年間)粟野秀用が城主となるが、豊臣秀次事件に連座して自刃すると、淡路国志知城から加藤嘉明が代わって入城し、大改修が行われた。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦の際、嘉明は東軍として出陣し、松前城は嘉明の弟忠明や家老佃十成らが守っていたが、この嘉明出兵の留守を狙って毛利氏部将宍戸景世や御家再興を願う河野通軌(景世と同一人物か)、そして村上水軍連合軍は三津浜に上陸、民家に分宿して本陣とすると、松前城の明け渡しを要求する。これに対し十成は一計を案じ、松前城を開城すると偽って連合軍を油断させると、深夜三津浜を襲撃し、村上元吉を討ち取る等大勝した。
関ヶ原合戦後、嘉明は戦功により20万石を得ると、1602年(慶長7)松山城の築城を開始し、松前城の石垣等の用材はすべて運ばれたといわれる。そして松山城が完成すると、松前城は廃城となった。
現在城址一帯は宅地化されており、石碑が立つのみとなっている。

参考文献 「現地案内板」
                        「大分・宮崎・愛媛の城郭 新人物往来社」  
訪城回数 1
2015年7月