三津浜古戦場

三津浜古戦場
愛媛県松山市古三津

1600年(慶長5)
宍戸景世・河野通軌×加藤忠明・佃十成
Mapion

--若宮さん--
交通 JR予讃線「三津浜駅」から徒歩15分。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦の際、松前城主加藤嘉明は東軍として出陣し、嘉明の弟忠明や家老佃十成らが留守を守っていた。この嘉明出兵の留守を狙って毛利輝元は松前城攻略を目論む。
9月14日早朝、命を受けた毛利氏部将宍戸景世や御家再興を願う河野通軌(景世と同一人物か)、能島・因島村上氏連合軍は興居島に上陸、次いで16日三津浜に上陸すると、民家に分宿して本陣とした。そして松前城へ使者を送り、城の明け渡しを要求する。これに対し十成は一計を案じ、松前城を開城すると偽って連合軍を油断させると、深夜三津浜を襲撃し、村上元吉を討ち取る等大勝した。この後も景世ら生き残った将兵は荏原城や如来院に籠もって対抗していたが、間も無く関ヶ原本戦の西軍敗報を受け、24日安芸国へ撤退した。
刈屋畑の戦いと呼ばれる古戦場一帯には村上さん・能登さん・能島さん等、戦死者を祀る祠や塚、屋敷神が点在しており、地図の地点、宮前公民館前に周辺の史跡地図案内板が立つが、多くが民家敷地内にある為、注意が必要。
村上元吉を祀る村上大明神 橋本さん・阿部さん 安芸国鎮海山城
村上元吉墓所

参考文献 「現地案内板」
              「歴史群像シリーズ 学研」
2015年7月