岐阜県飛騨市古川町片原町 --天守台石垣-- |
別名 | |
交通 | JR高山本線「飛騨古川駅」から徒歩5分。 |
築城年代 | 1587年(天正15) |
築城者 | 金森可重 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 金森可重・重近 |
1585年(天正13)羽柴秀吉の命を受けた越前大野城主金森長近率いる討伐軍は飛騨に侵攻し、翌年飛騨国は長近に与えられた。この時長近の養子可重は荒城郷1万石を与えられると、この増島城を築いたとされ、支城の役割を果たした。 1608年(慶長13)長近が亡くなり、跡を継いだ可重が高山城へ移ると、代わって子重近(後の宗和・宗和流茶道の祖)が城主となった。 1615年(元和1)一国一城令により「古川旅館」と改称され、金森家の旅館または別邸として家臣が交代で守った。その後1692年(元禄5)金森氏が出羽上山へ移ると、飛騨国は天領となり、1695年(元禄8)幕命により増島城は破却された。 増島城の規模について詳細は不明。現在は天守台石垣と水堀の一部が残されており、増島天満神社敷地となっている。 |
東堀跡 | 南東天守台石垣 | 天守台に建つ天満神社 |
南西天守台石垣 | 北・西・南は学校敷地となる | 北西天守台石垣 |