1637年(寛永14)11月 天草一揆勢×三宅藤兵衛 --古戦場碑・祗園橋-- |
交通 | 産交バス「本渡バスセンター」から徒歩10分。 |
●1637年(寛永14)天草一揆勢×三宅藤兵衛 1637年(寛永14)10月、肥前有馬村での代官殺害事件を発端として蜂起した島原一揆は森岳城を攻撃した。同じ頃天草でも一斉蜂起した天草四郎率いる一揆を鎮圧する為、富岡城代三宅藤兵衛率いる唐津軍はこの地で争うが、激戦の末、唐津軍は敗れ、藤兵衛は自害した。 続いて一揆勢は富岡城を攻撃するが落とせず、海を渡って島原勢と合流し、肥前原城に立て籠もった。 ●1530年(享禄3)天草氏×志岐氏 戦国時代、天草は天草五人衆(天草・志岐・大矢野・栖本・上津浦氏)と呼ばれる勢力が対立・抗争を繰り返した。天草氏は志岐氏領に進出するが、菊池武運の調停により退くと、本渡は志岐氏の手に渡った。しかし1530年(享禄3)天草尚種の時、町山口川を挟んで志岐氏と対峙、勝利して本渡城を奪回すると、天草氏は五人衆の中で最も有力な勢力となる。 |
天草古戦場碑 | 祇園神社 | 尾越の板碑 1530年(享禄3)に起こった合戦の 供養碑とされる |