森岳城

森岳城もりたけじょう
長崎県島原市城内1丁目
Mapion

--南水堀・巽櫓・天守閣--
別名 島原城・高来城
交通 島原鉄道線「島原駅」から徒歩10分。
築城年代 1618年(元和4)か
築城者 松倉重政
形式 平城
主な城主 松平忠房
1614年(慶長19)日野江城主有馬直純が日向延岡城へ移ると、一時天領となったが、1616年(元和2)大和五条から松倉重政が4万石で入封した。重政は日野江城、次いで浜城へ入城するが、1618年(元和4)頃、この地に新城の築城を開始、およそ7年をかけて完成し、同時に城下町も整備された。
しかし4万石の大名の城としては過分な城で、領民には過酷な労役・税が課せられ、重政とその子勝家による圧制が行われた。1637年(寛永14)10月、勝家の江戸参勤中、有馬村の農民は蜂起すると代官を殺害、藩兵と戦いながら北上し、森岳城に攻め寄せ、落城寸前まで追い込んだ。これが島原の乱に発展していく事となる。一揆勢は同じ頃立ち上がった天草四郎率いる天草一揆勢と合流して原城に立て籠もり、幕府軍と戦った。乱後、勝家は責任を問われ斬首、その後高力氏、松平氏、戸田氏が入城、そして再び松平氏が入り、明治維新を迎えた。
丑寅櫓・東水堀 巽櫓・天守閣 巽櫓・東水堀
南西水堀 西櫓 天守閣
天守閣から西の眺め 天守閣から北・二の丸、三の丸方面 諫早門・門扉
本丸北虎口 本丸・二の丸間廊下橋跡 本丸・二の丸間堀
二の丸東堀 二の丸北堀 佐久間屋敷跡

参考文献 「現地案内板」
                    「長崎・佐賀の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2011年9月
2017年1月