御船城

御船城みふねじょう
熊本県上益城郡御船町大字御船
Mapion

--甲斐宗運を合祀した天満宮--
別名      
交通 「桜町バスターミナル」からバス「御船小学校前」下車。
築城年代 南北朝時代か
築城者 阿蘇氏か
形式 平山城
主な城主 御船氏・甲斐宗運(親直)
築城者・年代は定かではないが、1345年(貞和1)筑後三郎に攻められた記録が残り、また阿蘇大宮司惟時が征西将軍懐良親王に御船城で拝謁している。次いで1359年(延文4)大保原合戦の直前、豊後大友氏が御船城を攻めている。
1368〜75年(応安年間)から1532〜55年(天文年間)にかけて阿蘇氏一族である御船盛安またはその一族の居城となった。
1541年(天文10)阿蘇氏に背いた御船房行を討った甲斐宗運(親直)が城主となる。甲斐氏は阿蘇氏の支配下で大きな勢力を有し、1532〜55年(天文年間)鹿子木氏に代わり、豊後大友氏の肥後国支配における目付役のような地位に在った。
1578年(天正6)日向国高城川合戦で大友宗麟が島津氏に敗れると、肥後国で反大友勢力が台頭し、また北からの龍造寺氏、南からの島津氏の肥後侵入が始まった。1581年(天正9)宗運は、島津氏から阿蘇氏攻略の先鋒を命じられた盟友相良義陽を響野原合戦で討ち取るが、間も無く大友氏から離れると、龍造寺氏と島津氏両勢力に外交で対処し、阿蘇氏勢力の維持に苦心しつつ、1583年(天正11)没した。嫡男親英が跡を継いで御船城主となるが、同年島津氏に敗れて退却し、島津義弘が入城した。
1587年(天正15)豊臣秀吉による九州征伐後、肥後国に入部した佐々成政が領有し、間も無く起きた肥後国人一揆の際には一時黒田孝高が鎮圧の為に入城している。成政が失政の責任を問われて自害すると、肥後南半国は小西行長に与えられ、御船城もその支配下に入った。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、新たに肥後国に入部した加藤清正の代に御船城は廃城となった。
現在城址は城山公園となり、大きく改変されており、旧状はほとんど留めていないようである。また城山南側にはかつて外堀が廻り、下囲・上囲の字名も残るが、加藤清正時代にすべて埋められたという伝承があるという。
城山公園西側 宗運門 城山公園
御舟古城記碑 東側の眺め 南から見る城山公園

参考文献 「福岡・熊本・鹿児島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2019年12月