三次陣屋

三次陣屋みよしじんや
広島県三次市三次町
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案内板・石碑地図
--館跡碑--
別名 三次御館
交通 JR芸備線「三次駅」からバス「商工会議所」下車。
築城年代 1632年(寛永9)
築城者 浅野長治
形式 陣屋
主な城主 浅野氏
1619年(元和5)広島藩主福島正則が広島城の無断修築を理由に改易されると、代わって紀伊国和歌山から浅野長晟が広島に入部する。そして1632年(寛永9)長晟没後、次男光晟が跡を継ぐと、異母兄である長治は5万石を分知されて三次藩を立藩した。この時長治は東・南・西三方を囲んで流れる川を堀に見立て、北に急峻な山が控えるこの地に館を置いた。長治は麻苧・製鉄・製紙の産業や牛馬市の開設、川漁の奨励、治水・築堤、その他広く民政に意を用いる一方、学問を好み、尾関山山頂に天体を観測する発蒙閣を建設する等、藩発展の礎を築いた。また長治の3女阿久理姫(瑤泉院)は忠臣蔵で知られる播磨国赤穂藩主3代浅野長矩の正室である。
長治以降、三次藩は長照・長澄・長経・長寔と続くが、代々後継者に恵まれず、1720年(享保5)5代88年で断絶、広島藩に還付され、その幕を閉じた。
三次小学校北側、三次コミュニティセンター一帯が館跡で南東隅に案内板・石碑が立つ。また比熊山南麓に建つ鳳源寺は浅野長治が建立した浅野家の菩提寺で浅野長治菩提塔や瑶泉院遺髪塔、大石内蔵助手植えの枝垂れ桜がある。
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鳳源寺
浅野長治像 浅野長照・長経・長寔合塔

参考文献 「現地案内板」
                      「広島・岡山の城郭 新人物往来社」 
訪城回数 1
2019年12月