守山城

守山城もりやまじょう
愛知県名古屋市守山区市場
Mapion

--案内板--
別名    
交通 JR中央本線「新守山駅」から徒歩15分。
築城年代   
築城者    
形式 平山城
主な城主 織田信光・織田信次・織田信時
築城者・年代共に不明。1526年(大永6)連歌師宗長がこの城を訪れ、連歌の会が盛大に催されたと伝えられる。
1535年(天文4)12月、三河国を平定した三河国岡崎城主松平清康(徳川家康の祖父)は勢いに乗じて尾張に進出し、織田信秀の弟である信光が守る守山城を攻めるが、その最中、誤って家臣阿部正豊(弥七郎)に討たれ、非業の最後を遂げる。主将を失った松平勢は岡崎へ撤退し、これ以後松平氏は急速に衰え、今川家の保護国的な扱いとなり、長い雌伏期間が続く事となる。「守山崩れ
1555年(弘治1)織田信友を討ち、清州城を占拠した信光が織田信長と入れ替わりで那古野城に入城すると、守山城は信光の弟信次、次いで信長の弟信時が城主となり、その後再び信次が復帰した。
宝勝寺一帯が城址で北側の竹藪の中に堀が残されている。また案内板が置かれているアパート裏手の丘上に城址碑が立つ。
宝勝寺 宝勝寺北側に残る堀 城址碑

参考文献 「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2019年12月