那古野城

那古野城なごやじょう
愛知県名古屋市中区二の丸
Mapion


--名古屋城二の丸に立つ城址碑--
別名 柳の丸
交通 各線「名古屋駅」から徒歩30分。
築城年代 1521年(大永1)頃
築城者 今川氏親
形式 平城
主な城主 織田信長・織田信光・林秀貞
1521年(大永1)頃、遠江・三河を押さえた駿河守護今川氏親(義元の父)は尾張に侵入し、その前進拠点として那古野城を築くと、一族の今川氏豊を置いた。
1532年(天文1)勝幡城主織田信秀は那古野城を攻略し、新たな拠点として入城した。1534年(天文3)信長はこの地で生まれたとされる(勝幡城とも)。同年信秀は経済基盤となる熱田を掌握し、東方今川方に備える為、古渡城を築いて移ると、那古野城を子信長に譲った。
1555年(弘治1)織田信友亡き後、信長が清洲城に移ると叔父である織田信光が入城するが、後に家臣坂井孫八郎に暗殺された。信光横死後、一時林秀貞が在城したが、やがて廃城となった。
1610年(慶長15)徳川家康は摂津国大坂城豊臣秀頼を牽制する為、清洲城の石材や木材を転用して名古屋城を築城し、その際那古野城は二の丸に取り込まれた。

参考文献 「現地案内板」
                        「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2009年4月