静岡県沼津市内浦長浜 --東から城址遠望-- |
別名 | |
交通 | 各線「沼津駅」からバス「城下橋」下車。 |
築城年代 | 戦国時代 |
築城者 | 後北条氏 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 大川兵庫助 |
戦国時代、江尻城・清水袋城を拠点とする武田水軍に備える為、後北条氏により築かれたとされる。しかし「異本太平記」に畠山道誓が長浜城に拠った事が記され、また「豆州記」には後北条氏が道誓の旧址を取り立て修築したという記録もある。 南側を除く三方は急斜面で険しく、また周囲の海は水深も深く、安宅船等の大型船の停泊にも適しており、後北条氏の伊豆における水軍基地の一つとして重要視された。 1589年(天正17)頃にはこの地の豪族大川兵庫助が城番となり、また後北条氏が韮山城の大藤与七に足軽80人で長浜城を守るよう命じた記録もあるが、翌年山中城が豊臣秀吉に攻められ落城すると、長浜城も廃城になったと考えられる。 現在城址には石垣も所々みられるが、以前城址に別荘が建てられていたといい、どこまでが遺構なのかはっきりしない。 |
東から城址遠望 | 東麓に立つ城址碑・登り口 | 三の丸堀切 |
三の丸 | 二の丸堀切(大手口か) | 本丸 |
本丸北・4段の腰曲輪 | 本丸から見る内浦湾 | 南麓・田久留輪 南側、陰野川沿いにある田久留輪 (城下橋バス停・JA付近)は居館跡と 推定されている |