新潟県長岡市大手通1丁目 --長岡駅前に立つ本丸跡碑-- |
別名 | 苧引形兜城・八文字搆浮ヶ島城 |
交通 | 各線「長岡駅」から徒歩5分。 |
築城年代 | 1605年(慶長10) |
築城者 | 堀直寄 |
形式 | 平城 |
主な城主 | 牧野氏 |
南北朝時代よりこの地方は、上杉氏宰臣長尾氏の一族である古志長尾氏が蔵王城に居城し治めていた。 1598年(慶長3)上杉景勝の会津移封後、堀秀治が越後に入封すると、弟の美作守親良が蔵王城に入城する。しかし1602年(慶長7)親良は嗣子鶴千代に譲り隠居した為、坂戸城主堀直寄が幼少である鶴千代の後見役として蔵王城に入った。この頃直寄はこの地に新城の築城を開始し、1605年(慶長10)長岡城(旧長岡城)が完成したと考えられる。 1610年(慶長15)堀忠俊が改易となると、直寄は一時飯山城に移るが、1617年(元和3)再び8万石でこの地に入封した。再封された直寄は再び長岡城(新長岡城)の築城を開始し、1618年(元和4)直寄が村上に移されると、代わって入封した牧野忠成に引き継がれ、完成した。 以後明治維新に至るまで、長岡城には牧野氏が在城した。 長岡駅付近が本丸跡とされ、駅前に本丸跡碑があり、また地図の地点、二の丸跡の厚生会館前に長岡城址碑が立つ。 |