神奈川県厚木市七沢 --城址碑-- |
別名 | 城山・城・七沢要害 |
交通 | 小田急線「本厚木駅」からバス「七沢病院」下車。 病院玄関前に城址碑があります。 |
築城年代 | 室町時代 |
築城者 | 山内上杉憲忠又は扇谷上杉氏 |
形式 | 丘城 |
主な城主 | 上杉朝昌 |
1450年(宝徳2)関東管領山内上杉憲忠が鎌倉公方足利成氏と争った際、七沢要害に籠もったという記録が初見だが、それ以前糟屋館に在った扇谷上杉氏により築かれたともいわれる。 1486年(文明18)扇谷上杉定正が太田道灌を糟屋館で謀殺した2年後の1488年(長享2)2月、武蔵国鉢形城から出陣した山内上杉顕定は1千余の兵を率い七沢を攻めた。これに対し定正は武蔵国川越城から手兵2百の兵をもって出陣し、5日実蒔原に陣する顕定と争った。顕定は背後にある七沢城を攻め、その際城主で定正の兄といわれる朝昌は討死したともされるが、かろうじて顕定を敗走させた。 朝昌の跡は定正の次子である朝寧が継いだが、その後後北条氏の勢力がこの地方に及ぶと七沢城は放棄されたものと考えられる。 現在城址は七沢リハビリテーション病院敷地となっており、遺構の多くが失われたものと思われるが、周辺には城に関連する水汲沢や検校屋敷、門口等の地名が残されている。 |
水汲沢 | 検校屋敷 | 徳雲寺 上杉定正夫妻のものとされる五輪塔 |