鳴海城

鳴海城なるみじょう
愛知県名古屋市緑区鳴海町城
Mapion
城址碑地図

--城址碑--
別名 根古屋城
交通 名鉄名古屋本線「鳴海駅」から徒歩10分。
築城年代 1394年(応永1)
築城者 安原宗範
形式 平山城
主な城主 山口教継・岡部元信
1394年(応永1)安原宗範によって築城される。
戦国時代、織田氏支配下にあり、山口教継が守ったが、1552年(天文21)末森城主織田信秀没後、那古野城主織田信長が跡を継ぐと、今川方に転じた。これにより鳴海城は今川氏にとって尾張進出、更には中央制覇の為の拠点の一つとなる。
教継は子教吉を鳴海城を任せると、笠寺に砦を構えて今川の5人の将を置き、自身は中村城に籠もった。4月17日那古野城を出陣した信長率いる兵800は「三の山」に着陣すると、教吉率いる兵1500は鳴海城を出陣し、両軍は赤塚の地で争った。信長方は30人が討死したとされるが、結局勝負は付かず、両者は兵を退いた。
その後教継は大高城・沓掛城を攻略するが、1558〜70年(永禄年間)今川義元に討たれると、代わって岡部元信が入城した。1560年(永禄3)桶狭間合戦で主君義元が討死した後も元信は織田方に抵抗し、信長から義元の首を引き取ってからようやく開城した。
その後佐久間信盛、正勝らが城主となり、1590年(天正18)廃城となったと伝えられる。
鳴海城跡公園 東福院
鳴海城の廃材を用いた山門が残る
城址碑・案内板

参考文献 「織田信長合戦全録 中公新書」
             「静岡・愛知・岐阜の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2008年12月