二条御所

二条御所にじょうごしょ
京都府京都市中京区
Mapion

--二条御所跡碑--
別名 二条御新造・二条新御所・下御所
交通 各線「烏丸御池駅」から徒歩5分。
築城年代 1576年(天正4)
築城者 織田信長
形式
主な城主 織田信長
1576年(天正4)織田信長が安土城と並行して、京都における宿所として造営した。元々この地は二条関白邸があった場所で、二条御新造と呼ばれた。造営の際、松永久秀の居城であった大和国多聞城の解体資材が使用されたという。
1579年(天正7)11月、信長はこの屋敷を誠仁親王に譲り、以後二条御所または禁裏の上御所に対し、下御所と呼ばれた。
その後信長は誠仁親王に献上し、二条新御所と称されるようになる。
1582年(天正10)6月、本能寺の変の際、信長が宿泊する本能寺が明智光秀の軍勢に包囲されると、本能寺北にある妙覚寺に宿泊していた信忠は500余の兵と共にこの二条御所に入り、明智勢を相手に戦い自害、御所は焼失した。

参考文献  「歴史群像シリーズ 本能寺の変 学研」
  
訪城回数 2
2006年5月
2009年6月