鎌倉時代、既に城砦が築かれていたと考えられるが、南北朝時代に入り、越後守護上杉氏の家臣長尾氏の一族がここ上田庄に移った後、山麓にかけて本格的な山城が築城された。 以後上田長尾氏は守護代長尾氏と協調しつつ、独自性を保っていたが、1551年(天文20)長尾景虎(上杉謙信)が国主となると、義兄であった政景は盟約を結び、臣従するに至る。謙信の姉仙桃院は政景に嫁いでおり、また政景家臣の樋口氏は、後に上杉景勝の下で活躍する直江兼続の父で、坂戸城は上杉景勝・直江兼続誕生の地でもある。 1578年(天正6)御館の乱後、坂戸城は春日山城の有力支城としてその役割を果たし、上杉景勝によって大改修が行われている。 1598年(慶長3)景勝の会津移封に伴い、堀直寄が入城するが、1610年(慶長15)信濃国飯山へ移ると、坂戸城は廃城となった。 西麓の御館跡から坂戸山山頂へ至る「城坂コース」・「薬師尾根コース」があり、所要時間はほぼ同じで、共に長い急坂が続く登山となる。また山頂(実城)から南東には小城・大城、南西には寺ヶ鼻曲輪、北には主水曲輪・桃之木平があり、城域は広大で、すべて見学するには時間を要する為、余裕を持って訪れたい。 |