小浜城

小浜城おばまじょう
福島県二本松市小浜下館
Mapion

--本丸下に立つ案内板--
別名 下館
交通 JR東北本線「二本松駅」下車。「二本松駅入口」バス停からバス
「岩代支所」下車。バス停から徒歩10分。
築城年代 1469〜87年(文明年間)
築城者 大内宗政
形式 山城
主な城主 大内定綱・伊達政宗・蒲生氏
室町時代?、奥州探題が置かれた四本松城(塩松城・二本松市上長折)の支城として築かれた事に始まり、1394〜1428年(応永年間)大内晴継が塩松(東安達)を領する石橋氏の家臣となり、この地に移住したという。そして1469〜87年(文明年間)その子宗政により小浜城が築かれ、城名は大内氏旧領である若狭国小浜に地形が似ていた事に因むとされる。
1569年(永禄12)定綱の時、百目木城主石川弾正と共に宮森城主大河内氏を滅ぼすと、主家石橋氏も追放し、塩松地方を掌握した。更に定綱は三春城主田村清顕と結び、郡山地方へも進出するが、その後田村氏に叛逆すると、二本松城主畠山氏、そして会津黒川城主蘆名氏と結んだ。
1582年(天正10)以降、伊達政宗が安達地方に進出すると、定綱は伊達氏と蘆名氏との間で揺れ動いたが、1585年(天正13)政宗に背き、蘆名氏に属した事から政宗の大内領への侵攻が始まり、小手森城に次いで小浜城も落城、定綱は蘆名氏の下へ敗走した。
小浜城には政宗、南方の宮森城には父輝宗が入城し、以降両城は伊達氏の二本松城、そして蘆名氏攻略の拠点となった。
1590年(天正18)豊臣秀吉による奥州仕置により会津に蒲生氏郷が入部すると、小浜城には蒲生忠右衛門が入城し、その後廃城となった。
現在岩代支所が建つ付近が大手口跡で、支所建設前は石垣に利用されたと考えられる巨石が点在していたという。城址の大半は畑や宅地となるが、本丸は城址公園として整備され、蒲生氏、あるいは丹羽氏時代のものといわれる石垣が築かれている。本丸周囲も畑になるが、堀切が農道として残されている。
大手口跡 谷間を通る大手から本丸方面
付近には屋敷や水の手があった
本丸東堀切
本丸南石垣 本丸に立つ城址碑 本丸東上段
本丸から北方面 本丸西下段
政宗殿舎と推定出来る建物跡が
見つかっている
本丸・二の丸間堀切

参考文献 「現地案内板」
         「戦国の城 学研」
                        「山形・宮城・福島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2014年9月