小国城

小国城おぐにじょう
山形県最上郡最上町本城
Mapion

--本丸背後堀切--
別名 岩部館
交通 JR陸羽東線「最上駅」から登山口まで徒歩15分。
南西麓に建つ十日町公民館から登山道があります。
築城年代 戦国時代
築城者 細川直元
形式 山城
主な城主 小国光基
築城年代は不明だが、戦国時代、小国郷は細川氏の支配下にあり、それまでの居館であった最上町富沢の富沢館が手狭になった為、この地に移ると、細川直元は岩部館、弟直茂は水手館(志茂)に居住したとされる。小国城の起源はこの直元の居館、岩部館に始まると考えられ、天童城主天童氏と結んでいた。
1580年(天正8)山形城主最上義光勢が山刀伐峠を越えてこの地に侵攻すると、直元は万騎原にこれを迎え撃つが敗れ、細川氏は滅亡、小国郷はこの合戦で戦功を挙げた蔵増安房守が領する事となった。そしてその嫡子は小国光基と改称し、小国城に在城したとされる。
1622年(元和8)最上氏の改易に伴い、小国城は廃城となり、小国郷は新庄城主戸沢政盛の支配に代わった。
絹出川を越えて東に見える標高303メートル、通称「お城山」が城址。南麓には城下町が形成され、「表小路」・「中小路」・「旦那小路」等の地名が残されている。また「惣堀」内外に家臣団屋敷群があったとされ、見性寺境内西側に堀跡とされる地形も見られる。
登山道途中に建つ「山の神様」 二の丸・三の丸間堀切 二の丸
本丸 本丸からの眺め 本丸北隅にある窪地
虎口か
御前清水 南東麓に建つ見性寺 南麓、根古谷跡(後の代官屋敷)

参考文献 「現地案内板」
                     「図説 中世城郭事典 新人物往来社」
                       「山形・宮城・福島の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2014年9月