福井県福井市黒丸 --城址碑-- |
別名 | 郡黒丸城 |
交通 | えちぜん鉄道三国芦原線「新田塚駅」から徒歩30分。 |
築城年代 | 1337年(延元2)頃か |
築城者 | 斯波高経か |
形式 | 平城 |
主な城主 | 斯波高経 |
九頭竜川と日野川が合流する地点に位置し、その下流6キロ、本城である大黒丸城に対し、小黒丸城または郡黒丸城と呼ばれ、双方併せて黒丸城と総称される。また諸説在るが、足羽七城の一つに挙げられる事もある。 1337年(延元2)3月、金ヶ崎城落城後、杣山城を拠点とする新田義貞ら南朝方は、翌年、斯波(足利)高経が拠る府中城を攻め落とすと、足羽に逃れた高経は大黒丸城に籠もり、足羽七城と呼ばれる支城を築いて守りを固めた。 同年閏7月2日、義貞は斯波方平泉寺衆徒が籠もる藤島城を攻めていた味方を支援する為、僅か50騎を率いて出陣するが、同じく藤島城救援の為、黒丸城を出陣した斯波勢300騎と遭遇し、燈明寺畷で討死した。 1339年(延元4)義貞の弟脇屋義助に三方から攻められた黒丸城は落城し、高経は加賀に落ち延びた。 現在一帯は水田や宅地となり、城址碑が立つのみで遺構は見当たらない。この城址碑は元々現在地より北方約50mの水田の台地に建立されていたが、県営圃場整備事業により現在地に移されたのだという。 |