大庭城

大庭城おおばじょう
神奈川県藤沢市大庭
Mapion

--二郭・三郭間空堀--
別名  
交通 小田急江ノ島線「善行駅」から徒歩40分。
築城年代 室町時代中頃
築城者 太田道灌
形式 山城
主な城主 後北条氏
平安時代、大庭の地は大庭御厨と称し、鎌倉権五郎景正により開発され、伊勢神宮に寄進したとされる。大庭城は平安時代末期、鎌倉権五郎景正の流れを汲む大庭景親が居住した事に始まるとされる。しかし大庭氏時代の館の所在は不明で、同一地とも考えられるが館跡遺構は見つかっていない。また1213年(建暦3)和田合戦により大庭氏が没落すると、この地を領した三浦義村が大庭に館を構えたとされるが、こちらも位置についての記録は無く不明である。
室町時代中頃、扇谷上杉氏の家宰太田道灌が本格的な築城を行ったとされ、扇谷上杉定正・朝良父子が居城したといわれる。
1512年(永正9)8月、相模平定を狙う北条早雲(伊勢宗瑞)が岡崎城を攻め、三浦道寸(義同)を新井城に追った頃、記録は無いが大庭城も落城したものと考えられ、城下に立つ舟地蔵にも落城伝説が残されている。
その後の大庭城に関する史料は乏しいが、玉縄城と共に存続し、現在見られる遺構は後北条氏による可能性も考えられている。
主郭南堀切 主郭・掘立柱建物址 二郭
主郭・二郭間空堀 二郭土塁 三郭
二郭・三郭間空堀 三郭西横堀 三郭・四郭間空堀
三郭・四郭間空堀から続く竪堀 四郭 三郭・四郭間東空堀
東下「門先」付近空堀 南下に立つ舟地蔵 東から城址遠望

参考文献 「現地案内板」
                      「千葉・神奈川の城郭 新人物往来社」
訪城回数 2
2007年2月
2020年2月