秋田県大館市中城 --西から見る本丸-- |
別名 | |
交通 | 各線「大館駅」からバス「大館市役所前」下車。 |
築城年代 | 1550年(天文19) |
築城者 | 浅利勝頼 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 浅利勝頼 |
1550年(天文19)比内浅利氏初代則頼が亡くなった後、その子勝頼によって築かれたとされる。 1582年(天正10)檜山城主秋田(安東)愛季は勝頼を謀殺すると、大館城に五十目兵庫を置き、大館地方を支配するが、1588年(天正16)五十目氏は南部氏に内応し、大館地方は南部氏の支配下に置かれた。 1590年(天正18)秋田実季は再び大館を支配するが、1602年(慶長7)秋田氏は佐竹氏と国替えとなり、大館城には佐竹氏家臣の小場義成が入城し、この時改修が行われた。 1615年(元和1)一国一城令が出されるが、大館城は横手城と共に久保田城の支城という名目で存続が許され、その後3代城主義房の時に佐竹姓を賜り、佐竹西家と称されるようになった。 1868年(明治1)戊辰戦争において南部軍に攻められ、8月に落城し、大館城は焼失した。 城址は市街地に埋もれているが、本丸は桂城公園として整備されており、水堀や土塁が残されている。 |
大手跡 | 本丸南水堀 | 本丸南土塁 |
本丸 | 本丸から北側の眺め | 本丸西側を通る道路は堀跡か |