大田原城

大田原城おおたわらじょう
栃木県大田原市城山2丁目
Mapion

--本丸東土塁--
別名 龍体城・前室城・前室蛇頭城
交通 JR東北本線「西那須野駅」からバス「公園前」下車。
築城年代 1545年(天文14)
築城者 大田原資清
形式 平山城
主な城主 大田原氏
1543年(天文12)あるいは1545年(天文14)水口館主大俵資清により新たな拠点として築かれ、この時姓を大田原氏に改めたといわれる。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの際、那須衆宗家である烏山城主那須資晴は参陣を拒否した為、一時没落するが、資清の孫である晴清は大関・福原氏らと共に小田原に赴き、所領を安堵された。
1600年(慶長5)関ヶ原合戦の年、徳川家康は上杉景勝に備える為、家臣を遣わし、晴清に命じて大田原城の大改修を行った。戦後、この功により加増され、1万2000石の領地となる。以後大田原氏は14代270年、明治に至るまで続いた。
1868年(慶応4)戊辰戦争の際、大田原藩は新政府軍に応じ、大田原城は会津国白河城攻略の拠点となった為、旧幕府会津軍に攻められたが、作事場火薬庫の暴発により会津軍は撤退し落城は免れた。
蛇尾川右岸の丘陵上、龍体山に築かれている。北から北曲輪・本丸・二の丸・南西麓に三の丸が配されており、現在は龍城公園として整備されている。北西には大田原氏菩提寺である光真寺が建ち、大田原氏歴代墓所がある。
北曲輪 本丸北西裏門跡 本丸
本丸北土塁 本丸南台門・冠水門跡 本丸・二の丸間空堀
二の丸 二の丸煙硝庫跡 二の丸南曲輪
本丸東空堀 東を流れる蛇尾川 Mapion
光真寺
大田原資清像 大田原氏歴代墓 15代晴清・16代政清墓

参考文献 「とちぎの古城を歩く 下野新聞社」
           「茨城・栃木・群馬の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2021年12月