逆井城

逆井城さかさいじょう
茨城県坂東市逆井
Mapion

--復元された筋違橋・着到櫓--
別名 飯沼城
交通 東北自動車道「久喜IC」から車で1時間。
築城年代 1450年(宝徳2)頃
築城者 逆井常宗
形式 平城
主な城主 北条氏繁
逆井城はかつて存在した飯沼に望む台地先端に位置し、北側は飯沼、西側は飯沼の入江である蓮沼に囲まれていた。戦国時代には飯沼が後北条氏と佐竹氏・結城氏・多賀谷氏らの領国の境目であり、逆井城は後北条氏の最前線の拠点であった。
元々逆井城は1450年(宝徳2)頃、小山城主小山義政の子常宗が築き、逆井氏を称した事に始まるとされる。1536年(天文5)逆井常繁の時、後北条氏家臣大道寺駿河守盛昌に攻められて落城し、常繁は討死、常繁の室とも娘ともいう智御前又は智姫は鐘をかぶり城中の井戸に身をなげた。この井戸は「鐘掘池」と呼ばれ現在も残されている。
1574年(天正2)頃、飯沼に進出した後北条氏は、3年後の1577年(天正5)玉縄城主北条氏繁に命じてこの地に築城を開始し、その際藤沢や鎌倉から大鋸引職人らが呼ばれたという。
翌1578年(天正6)氏繁が城中で没すると、氏舜が城代となり、1580年(天正8)には氏勝が城主となるが、1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻めの後、逆井城は廃城となった。
逆井城跡公園として整備され、櫓や門が復元されている。東側は一部消滅しているようだが、遺構も良く残されている。城址まで便利な公共交通機関が無く、アクセスは大変だが見所は多い。
外掘(蓮沼) 外掘南側
二重堀のようになっており、左側には
湊があったと考えられている
復元された筋違橋・着到櫓
着到櫓から見る二の丸
正面に本丸・古城跡
二の丸南側に復元された塀・井楼櫓 二の丸西側土塁
移築されている関宿城城門 鐘掘池 本丸虎口に復元された二階門・木橋
本丸 本丸空堀 二の丸
二の丸から北側の眺め
かつて存在した飯沼は江戸時代の
新田開発により消滅した
二の丸東空堀 三の丸

参考文献 「現地案内板」 
         「戦国の城 学研」
訪城回数 1
2013年5月