栃木県鹿沼市坂田山1丁目 --空堀-- |
別名 | 鹿沼古城 |
交通 | 東武日光線「新鹿沼駅」から徒歩20分。 北麓に建つ歯科駐車場隅に階段が取り付けられています。 |
築城年代 | 鎌倉時代 |
築城者 | 鹿沼権三郎入道教阿 |
形式 | 平山城 |
主な城主 | 鹿沼氏・壬生氏 |
鎌倉時代、鹿沼権三郎入道教阿により築かれたとされる。鹿沼権三郎入道教阿という人物について詳細は不明だが、「佐野系図」によると佐野実綱の子「行綱」に鹿沼六郎右衛門尉と注記され、鹿沼氏の祖とし、その子「勝綱」が鹿沼権三郎入道教阿とある。1292年
(正応5)教阿は日光二荒山神社へに銅灯籠(化け灯籠)を奉納している。 教阿以降、鹿沼氏は宇都宮城主宇都宮氏と抗争を繰り返し、1491年(延徳3)鹿沼教清の時、宇都宮忠綱と鹿沼上野台で争って討死、鹿沼氏は滅亡し、鹿沼地方は宇都宮氏の所領となった。 その後壬生城主壬生綱重が鹿沼に進出すると坂田山館を改築して新たな居城とした。綱重の鹿沼進出の時期は不明だが、1509年(永正6)連歌師宗長が鹿沼の綱重の館を訪れている事からそれ以前の頃と考えられる。そして綱重没後、跡を継いだ壬生綱房は1532年(天文1)隣接する御殿山に鹿沼城を築くと坂田山館はその一部に取り込まれた。 鹿沼城の北西、標高170メートル、坂田山に築かれている。小さな祠が祀られている山頂を中心とする単郭の小規模な城だが、周囲に深い空堀が残されている。 |
主郭に建つ祠 | 主郭 | 空堀 |
土塁 | 南下、鹿沼城との間を通る道路 | 南東から遠望 |