大阪府大東市三箇5丁目 --三箇菅原神社前に立つ城址碑-- |
別名 | |
交通 | JR片町線「野崎駅」から徒歩15分。 |
築城年代 | 戦国時代か |
築城者 | |
形式 | 平城 |
主な城主 | 白井氏 |
寝屋川右岸、菅原神社付近が城址とされ、畠山氏、三好氏が飯盛山に城を構えた際、支城として用いられた。 1562年(永禄5)三好下野守政成が守る三箇城は、畠山方宮崎隠岐守に攻められ落城、政成は討死したという。 1564年(永禄7)三箇城主三箇殿(白井氏)は京都で宣教師ガスパル・ヴィレラに教えを受けて信者となり、その後三箇にヴィレラを請うじて農民の大部分を改宗させた。その後この地には畿内一といわれるキリスト教会が建てられる。 1573年(天正1)織田信長は若江城を攻め、三好義継を滅ぼした。この時白井氏は所領を安堵されるも、謀反を企て、飯盛山城に籠もる。その後白井氏は信長に自刃を命じられるが許され、隠遁した。 1582年(天正10)明智光秀は本能寺で信長を討つと、白井氏に河内半国を与える事を約束し、白井氏はこれに与するが、光秀が山崎合戦で敗れると、白井氏は羽柴秀吉に捕らえられ、討たれた。 1587年(天正15)バテレン追放令により、三箇城は教会と共に廃された。 |