幸手城

幸手城さってじょう
埼玉県幸手市中1丁目
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--陣屋稲荷--
別名 田宮城・一色氏館
交通 東武日光線「幸手駅」から徒歩3分。
築城年代 1455年(康正1)
築城者 足利成氏
形式 平城
主な城主 一色氏
1455年(康正1)頃、古河城を本拠とする古河公方足利成氏が関東管領上杉氏に対する防衛線として築いたと考えられ、一色氏に守らせた。
1471年(文明3)上杉氏重臣である長尾景信・太田資忠は一色範氏が守る幸手城と高野城を落とし、次いで古河城をも落とすが、翌年成氏は結城氏の援助を受けて奪還し、再び防衛線を整えた。
1590年(天正18)豊臣秀吉による小田原攻め後、一色氏は退去するが、1600年(慶長5)関ヶ原合戦後、一色直朝の子義直は徳川家康に召し出され、幸手城主に復帰した。
1611年(慶長16)義直の養子である直氏の時、木野崎城に移った後、幸手は直轄地となった。
幸手駅一帯が城址だが、江戸時代後期には既に遺構のほとんどが失われていたといい、一色氏勧請という天神神社・稲荷神社が残るだけとなる。

●吉野神社
1554年(天文23)幸手城は上杉氏(北条氏とも)に攻められ落城、城主一色直為は討死した。関宿城主梁田氏の娘で直為の奥方吉野の前と乳母安の戸も関宿へ逃れようとしていたが落命した。吉野神社と姥神社は二人の霊を祀ったもので吉野・安戸の地名もこれに由来する。
幸手駅 Mapion
馬場跡といわれる祥安寺
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吉野神社

参考文献     「幸手一色氏 系図から伝承まで 幸手市教育委員会」
「続・埼玉の城址30選 埼玉新聞社」
「東京・埼玉の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2019年5月