鷹尾城

鷹尾城たかおじょう
兵庫県芦屋市城山
Mapion
登山口地図

--堀切--
別名 鷹尾山城・芦屋城
交通 阪急神戸線「芦屋川駅」から登山口まで徒歩15分。
築城年代 1511年(永正8)
築城者 瓦林正頼
形式 山城
主な城主 瓦林正頼
1511年(永正8)瓦林正頼により築かれたとされる。この頃細川家では内紛が起こっており、細川高国と細川澄元が争っていたが、高国に従った正頼は阿波から京へ向かう澄元の進路を押さえる為、この鷹尾城を築いた。その為鷹尾城は澄元方の地侍に囲まれ、正頼の奇襲により一度は寄手を敗走させるが、これに澄元は細川尚春を遣わし、深江(神戸市東灘区)に陣取らせた。一方正頼の事情を知った高国も援軍を送り、同年7月26日芦屋河原合戦となった。激戦の末、高国方が勝利するが、8月8日鷹尾城は播磨の赤松義村の下へ逃れた尚春の要請を受けた播磨勢に再び包囲された。そして鷹尾城は落城し、正頼は伊丹城を経て、波多野氏を頼り丹波八上城へ逃れた。
その後高国が勢力を回復すると、再び正頼が入城するが、間も無く越水城を築いて移ると鷹尾城は支城として家臣鈴木与次郎が守った。1520年(永正17)越水城が落城し、正頼が堺へ逃れると鷹尾城は廃城になったものと思われるが、1568年(永禄11)越水城が廃城となるまで存続していたとも考えられる。
標高271メートルの鷹尾山から南、城山に位置する。テレビ塔や送電鉄塔が立ち、また戦時中高射砲関連施設が設けられた為、改変されている箇所も多いようだが、堀切や土塁が良く残されている。また西側には規模の大きい二重横堀も残されているが、一説に戦時中の塹壕跡ともいわれている。
麓に立つ案内板 主郭下曲輪 主郭
主郭からの眺め 主郭北堀切・土橋 土橋
竪堀が残る
二重横堀 二郭(城山山頂) 南から城址遠望

参考文献 「ひょうごの城 神戸新聞総合出版センター」
  「大阪・兵庫の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2015年3月