天王寺砦

天王寺砦てんのうじとりで
大阪府大阪市天王寺区生玉寺町
Mapion

--月江寺--
別名 天王寺城
交通 市営地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」から徒歩5分。
築城年代 1576年(天正4)
築城者 織田信長
形式 平城
主な城主 塙直政・明智光秀・佐久間信盛
1576年(天正4)4月14日、織田信長は石山本願寺攻めの命令を出し、荒木村重・長岡藤孝・塙直政・明智光秀らは本願寺を包囲した。この時塙直政に命じて天王寺砦を築いた。
石山本願寺は楼岸から木津に至る海岸線に複数の砦を設け、大阪湾からの毛利氏や雑賀衆との連絡路を確保していた。これを断つ為、直政は楼岸と木津の間にある三津寺砦攻略の命を受けると、天王寺砦には佐久間信栄の援軍が明智光秀と共に入る。5月3日早朝、直政は三好康長と共に三津寺砦への攻撃を開始するが、楼岸から本願寺勢が来援し、数千挺といわれる鉄砲隊の攻撃により直政は討死、勝ちに乗じた本願寺勢は天王寺まで押し寄せた。同月5日早朝、援軍として京を出陣した信長は天王寺砦守兵と共に本願寺勢を攻め立て、撃退に成功すると、石山本願寺城下まで追撃した。この時討ち取った首は2700余に上ったという。またこの合戦で信長も自ら戦い、足に鉄砲傷を受ける奮戦ぶりであったという。
その後天王寺砦には佐久間信盛が入り、本願寺攻めの主将となった。しかし戦線は膠着し、1580年(天正8)信長と本願寺が和睦すると、信盛は折檻状を突きつけられ、高野山に追放される事となった。
天王寺砦は月江寺付近にあったとされているが、遺構は何も残されていない。

参考文献 「歴史群像シリーズ 学研」
             「織田信長合戦全録 中公新書」  
訪城回数 1
2009年5月