富山城

富山城とみやまじょう
岡山県岡山市北区矢坂本町
Mapion
登山口地図

--南の丸堀切--
別名 万成城・大安寺城
交通 JR吉備線「大安寺駅」から登山口まで徒歩3分。
地図の地点に登山口があります。墓地を過ぎると富山城案内が
あります。他にも複数ルートがあるようです。
築城年代 1467年(応仁1)
築城者 松田元隆
形式 山城
主な城主 松田氏・宇喜多氏
885〜89年(仁和年間)当地の豪族富山重興により築かれた事に始まる。
1467年(応仁1)赤松氏に従った金川城主松田元隆は山名氏方が守る備前福岡荘攻めに参加し、その軍功により備前国御野郡伊福郷を与えられた。そして元隆は富山城を攻め、富山氏を追うと改築し、金川城から移って居城とした。
元隆没後、その子元成は再び金川城へ本拠を移すと、富山城には元親を城主に置いた。以後富山城は松田氏の岡山平野の押さえの直轄の出城となり、松田氏一族及び宿老が城主を務める。
1568年(永禄11)金川城は戦国大名化しつつあった浦上氏被官宇喜多直家に攻められ落城、松田氏が滅亡すると、富山城は直家の弟忠家が城主となり、1573年(天正1)岡山城築城後も出城として重視され、忠家隠居後はその子左京亮詮家が城主となる。この詮家は宗家宇喜多直家の子秀家と対立して、1599年(慶長4)出奔、その後1600年(慶長5)関ヶ原合戦で東軍に従い、後に津和野3万石を与えられ、名を改めた坂崎直盛である。
関ヶ原合戦後、没落した宇喜多氏に代わって小早川秀秋が備前を与えられると、富山城は廃城となり、その用材は岡山城改築に利用されたといわれ、富山城大手門は岡山城石山門に移築されたと伝えられる。
南の丸 南の丸堀切 二の丸
本丸 本丸石垣 Mapion
岡山城石山門跡
富山城大手門と伝わる

参考文献 「岡山の山城を歩く 吉備人出版」
        「広島・岡山の城郭 新人物往来社」
訪城回数 1
2015年1月