熊本県荒尾市平山 --三の丸南二重堀切-- |
別名 | 筒ヶ嶽城・小代城・小岱城 |
交通 | JR鹿児島本線「玉名駅」からバス「蛇ヶ谷公園前」下車。 蛇ヶ谷公園内から観音岳経由の登山道があり、城址まで 約90分。他に複数ルートがあるようです。 |
築城年代 | 南北朝時代か |
築城者 | 小代氏 |
形式 | 山城 |
主な城主 | 小代親泰 |
1247年(宝治1)武蔵国小代郷を本貫地とする小代重俊は子重康の宝治合戦の戦功により、肥後国野原庄の地頭職に任ぜられた。当時は地頭代に所領の管理を任せていたが、1271年(文永8)幕府から蒙古襲来に備える為、また領内の争いを治める為、下向を命じられると、小代氏一族は野原庄へ移り住み(重康の頃か)、以後三百数十年、親泰までこの地で勢力を誇った。筒ヶ岳城を築いた時期は不明だが、当初小代氏は梅尾城を居城としていたと思われ、勢力の拡大に伴い、築かれたと考えられる。 室町・戦国時代を通じ、小代氏は菊池・大友・龍造寺・島津氏ら諸勢力に状況に応じて従属しながらも政治的独立を維持し、これは筒ヶ岳城の要害があったからと考えられる。 1587年(天正15)豊臣秀吉による九州征伐後、肥後一国を与えられた佐々成政が隈本城に入城すると筒ヶ岳城は支城となり、城主親泰は上京を命じられる。その後肥後国人一揆が起こり、成政が失政の責任を問われ自刃すると、この地は加藤清正領となり、加藤美作正次が城代として置かれたという。小代氏は加藤氏に仕え、1632年(寛永9)加藤氏改易後は細川氏家臣として続いたとされる。 標高501メートル筒ヶ岳(小岱山)山頂を中心とし、支尾根に曲輪・堀切を設けた県内でも有数の規模・遺構を残している。登山道は複数あるが、府本地域から筒ヶ岳西下、中腹を通る林道沿いにある「針の耳コース」からの登山が最短のようである。 |
三の丸南堀切 | 二の丸南二重堀切 | 二の丸南二重堀切の一つ |
二の丸 | 本丸 | 本丸に立つ標柱 |
本丸下石垣 | 本丸北曲輪跡 | 本丸北堀切 |
井戸跡か | 北曲輪 | 本丸西尾根二重堀切 |